70周年スペシャル企画

1961

昭和36年

9月

キャラウェイ高等弁務官への
直接交渉により、却下された
電力供給の許可を獲得

拓南製鐵(株)は本格的な鉄の事業に取り組むべく、製鋼工場に電気炉を導入することにしました。ところがここで大きな問題が立ちはだかります。電気炉は小型とはいえ多量の電力を必要とするため、この電力の確保に高いハードルがあったのです。

当時、電気事業は琉球電力公社が行っていましたが、その全発電量は約13万kWであり、実際の運営は米陸軍管轄のもとに、その大半を米軍用に供給していました。また民間への供給については、琉球政府の電気事業法に基づき、配電5社を通して行われていました。工場への送電を依頼すると、琉球電力公社からはアメリカ軍との関係上、無理だと言われ、また配電会社からは容量不足をきたし、電圧変動が生じて他の一般ユーザーに迷惑をかけると言われ断られたのです。さらに電力は製鋼コストに大きなウエイトを占めるため、電力公社から卸料金で直接供給してもらうよう申請しましたが、琉球政府は電気事業法に抵触するとして、これを許可しませんでした。

そこで創業者の古波津清昇は、当時の高等弁務官キャラウェイ宛に直接交渉に乗り出しました。それが功を奏し、ようやく操業1ヵ月前になって「1,000kW以上の産業用電力は電力公社から直接供給することができる」との布令が発布され、シュルツ米国民政府副民政官の書簡により条件付きながら許可されたのです。沖縄初の電気炉はこのような問題を解決し、産声を上げたのです。