70周年スペシャル企画

1970

昭和45年

4月

公害問題に直面するも、
建屋集塵装置を導入し解決へ

高度経済成長に沸く、1965年~74年の日本。華やかな部分とは裏腹に、全国的に公害問題が大きくクローズアップされ、壺川工場に対しても地域住民の公害反対運動が起こりました。工場では、ばい煙対策として電気炉に集塵装置を設置。ばい煙は確かに減少しましたが、騒音がひどく、あらたな公害問題を引き起こしていました。付近住民からは夜間操業を中止せよとの申し入れがありましたが、熱効率上、夜間の操業を中止するわけにもいかず、また鉄筋需要が旺盛な時期だけに、その対策には頭を痛めました。

騒音の原因は煙を吸い込むためのブロアと電気モーターだったことから、集塵機メーカーの指導で、ブロア室を防音材で包み込み、さらに防音壁を設置。その結果、100dB以上あった騒音を何とか規定内にまで減少させることに成功。しかし神経質になった住民からの苦情は後を絶たず、ついには創業者・古波津清昇の自宅塀や玄関、壺川通り一帯の電柱に、公害反対のビラのみならず家族、兄弟まで中傷したビラが貼り出されました。住民の苦情を受け、市役所の公害パトロール車が毎日のように監視に来るほどでした。

その後、業界でも数少ない建屋集塵装置に約1億円を投じて完成させ、一応の解決を見るに至りました。