1972
昭和47年
12月
沖縄初のJIS(日本工業規格)
表示許可工場に認定
1972年、沖縄県が日本本土に復帰、それと同じく製鉄業も大きく変化しました。今までアメリカの規格だったものが、全て日本の規格に合わせなければならなくなったのです。そこで拓南製鐵(株)はいち早く日本の商品規格であるJISマークの申請を行いました。
ところがJIS の制度が導入されると、管理体制など経費負担増になるとして、琉球政府立法院に反対陳述が出されました。議員からは「拓南製鐵(株)はJIS工場を取得できるが、体制の整っていない企業はどうするのか」との意見もありましたが、創業者の古波津清昇は「全国統一の規格であれば、県産品のイメージ向上にもつながるし、本土から仕入れなくても県産品で賄い、地域経済にもプラスになる。沖縄の企業が本土で検査を受けなくてもいいように、諸施設や手続きも整える」と説得し理解を求めました。
しかしながら当時、国外でのJIS工場は法的制度がなく認められていませんでしたが、JIS表示工場として許可されるまでの期間、製品は暫定的に「同等品」の扱いを受けました。この配慮は、復帰以前にアメリカの規格(ASTM) のテストに合格し、米軍向けの納入実績があったことが評価されたものと思われます。
そして1972年10月13日、沖縄で最初のJIS 表示許可工場として3社が認定され、拓南製鐵(株)はその第1号となりました。拓南製鐵(株)のJIS 取得は、県産品に対する認識を高めただけでなく、沖縄における工業製品の競争力をつけることが必要であり、品質管理技術、製造技術の伸張が不可欠であることをアピール。翌1973年には沖縄県JIS 協会を設立し、古波津清昇が初代会⾧に就任。以降、拓南製鐵(株)は県内で工業標準化を推進する中心企業として尽力し、1986年11月の第13回沖縄県JIS 協会通常総会では「沖縄において1972年にJIS の制度が制定されて以来、工業標準化を推進し、県内の工業技術の向上に尽くした功績は多大なものがある」として、古波津清昇が沖縄総合事務局⾧賞を受賞しました。以降、拓伸会で6名受賞。