1979
昭和54年
9月
沖縄女子ゴルフの礎を築いた、
西原グリーンセンター
1970年頃、沖縄において男子ゴルフは盛んでしたが、女子ゴルフはその影に隠れた存在でした。1979年、西原グリーンセンターは、女子ゴルフの人気を押し上げ、さらに技術向上とゴルフ人口拡大を目的に、琉球放送と沖縄カントリークラブの協力を得て三社共催による「第1 回西原グリーンセンター杯 女子ゴルフ大会」を沖縄カントリークラブで開催しました。当時はオイルショックによるゴルフ人口激減もあり、西原グリーンセンターとしては「何とか女子ゴルファーの獲得を目指して活路を見出したい」という窮余の策であったと山城保支配人(当時)は語っています。
ところが大会の開催は容易ではありませんでした。運営側が、高校生が平日に大会に出場することに難色を示したのです。しかし父兄からの強い後押しがあり「校⾧が許可するなら」という条件付きで出場が認められました。その後、テレビ放映の効果もあり、参加人数は年々増加。沖縄の女子ゴルファーが目標とする大会へと成⾧していきました。
第5回大会より「沖縄女子ゴルフ選手権大会」へと名称を変えて規模を拡大。九州各地のトップアマにも参加を促しました。その甲斐あって第6回大会には県外選手6名が初参加。それ以来、毎年有力選手が来沖するようになりました。しかし第7回(1985年)・第9 回(1987年)・第11 回(1989年)~第16 回(1995年)に県外選手が続々優勝するなど沖縄出身選手の勢いが失速していきました。低迷期の中、沖縄女子ゴルフ界は主役がレディースからジュニアへと転換していく時期となり、第19回(1997年)大会には高校2年生の新崎弥生選手が優勝。その翌年には中学1 年生の宮里藍選手が華やかに登場し、第20回(1998年)~第23回(2001年)まで4連覇と大会史上初の大記録を達成しました。第24回(2002年)には全日本女子アマ選手権を制した上原彩子選手、第25回(2003年)は諸見里しのぶ選手、第26 回(2004年)には宮里美香選手と、将来のトッププロとなる逸材が続々と優勝を飾っており、日本の女子ゴルフ界を担う選手の登竜門ともいうべき大会になりました。
西原グリーンセンターは、第25回大会(2003年)まで運営を継続しましたが、その後は沖縄カントリークラブの単独運営へ移行し、現在の「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」開催の礎となっています。