70周年スペシャル企画

1984

昭和59年

10月

線材工場の操業開始、
沖縄初の造管事業へ新規参入

鉄筋の需要は好・不況に大きく左右され、拓南製鐵(株)の安定的発展を期すには、鉄筋以外の新製品を開発し、商品を多様化する必要がありました。そこで着目したのが、沖縄製線(株)、(資)大進商会、(資)琉球製線の3社が、普通鉄線および釘、針金、ワイヤーメッシュなどを生産するためにバーインコイルを多量に県外から移入していることでした。代替品として製造できる、市場参入可能と確信し、巻取機などの必要機械を購入し、圧延ラインの改良工事を進め、1980年8月にはバーインコイルの生産を開始しました。

しかし、多額の費用をかけて設備したものの、月産100トン前後の生産量では採算上問題がありました。そこで、すでに拓南製鐵(株)の原料を使用していた琉球製線と業務提携し、販路拡大を図ります。ところが販売量が少しずつ増えてきた頃、琉球製線が「全く別の業種に衣替えしたいので、残っている機器などを引き取ってほしい」と申し入れてきたのです。これを契機に、拓南製鐵(株)は線材部門を新設することになりました。

総工費4,500万円を投じ、浦添工場の資材および太物鉄筋倉庫をワイヤーメッシュ工場へ衣替えし、1981年10月から本格操業に入りました。このワイヤーメッシュの生産が線材分野開発の第一歩となりました。バーインコイルを生産し、線材二次製品の増産態勢と商品の多様化に対応し、効率性の強化と新規事業の展望を拓く上で、新たな工場用地の確保が必要となりました。

そこで1984年、中城村伊舎堂地先にあるベニヤ工場跡地2万5,000坪を購入。幸いにも工場建物が数棟残っていたため、西原工場の線材部門と浦添工場のワイヤーメッシュ部門をそこに移し、線材二次製品の開発・生産加工基地にしました。線材部門の生産能力は月間1,000トンとなりました。

その頃、県内の農業では台風対策や害虫防除などのため、ビニールハウスの需要が急増。しかしビニールハウスに使用される農業用パイプは県外からの移入品に依存していました。そこで今後も増え続けるとみられる需要に応えるため、1985年3月、日下部電気の指導のもとに、造管機を伸線工場隣接の建屋に据え付け、県内初の造管工場を建設して操業を開始しました。同年4月には第2造管ラインも完成。太径管を主体に生産を開始し、沖縄ガルバ(株)で溶融亜鉛めっきを施したことで、農業用資材の全面供給態勢と道路・土木・建築用品の供給態勢が整いました。