70周年スペシャル企画

1979

昭和54年

10月

自動車解体機を開発し、
「科学技術庁⾧官賞」を受賞

従来、拓南商事(株)での車解体作業は、人力によるガス切断工法が主体だったため、非能率で安全衛生上の問題も抱えていました。その上、作業服が油で汚れ、煙にまみれるため、勤労意欲を削ぎ、外見上にも悪い印象を与えていました。

一方、沖縄県内の自動車は本土復帰を境に爆発的に普及。沖縄は「中古車天国」とも呼ばれ、本土経由で流通する中古車が多く、ほとんどの自動車が県外で再流通することなく、沖縄で最終処分されました。その結果、廃自動車の不法投棄が至るところで見られ、全国的にも社会問題として顕在化していました。

拓南商事(株)では廃自動車の急激な増加に伴って、シュレッダー導入の必要性が生じ、その前処理機として機械による量産体制を図ることが当面の課題として浮上。創業者・古波津清昇の指示により、取締役の宮城真治が中心となって解体機の開発を考案することになりました。

しかし開発は難航し、3回実施したテストは失敗。そんな折、アメリカ駐留軍が建設した発電所の解体作業中に使用していた二ブラーで切断している所を目にし、能力が抜群であることを発見。車両解体のヒントを得て、抑え込み機を取り付け、油圧回路とシリンダーを強化し、切断能力を80トンに引き上げ、カッター部の逃げ予防を施すなどの設計を行い、その製作を油谷重工(株)(現:コベルコ建機日本株式会社)に依頼。待ちに待った重機が1979年9月に完成し「自動車解体機」と命名しました。この自動車解体機の導入により、生産量が急増しただけでなく、1981年10月には考案者の宮城氏が「科学技術庁⾧官賞」を受賞し、全国的にもその功績が認められました。