1984
昭和59年
9月
新技術で市場開拓に成功
沖縄ガルバ(株)の設立
海に囲まれた沖縄では、塩害による「錆」から「鉄」を守ることは⾧年の課題でした。拓南製鐵(株)は1982年頃から、県工業試験場との共同研究(中小企業事業団の新技術実証事業)により、樹脂コーティングを鉄線に施す農業用ハウス支柱材の開発など防錆対策に取り組んでいましたが、採算面などで課題がありました。
そんな中、(財)地域産業技術振興協会(産振協)主催の講演会で、日本防錆技術協会から「沖縄はたいへん塩害が多い地域なので、当協会から防錆処理について特段の技術協力をする必要がある」との提言がなされました。その後、産振協の各専門分野で研究発表が行われ、県内での溶融亜鉛めっき工場設立の可能性について論議されました。その結果、国内で最も実績のあるオーエム工業を中心とする本土企業5 社、沖縄側では拓南製鐵(株)を中心とする5社の共同出資により、溶融亜鉛めっき工場を設立する運びになりました。こうして1984年10月、沖縄ガルバ(株)を創業。資本金は8,000万円。持ち株比率は沖縄側・本土側ともに50%で、社⾧(中央棒鋼の大見謝恒徳氏)および総務・経理は沖縄側が担当。常務および機種選定や運用などの技術指導はオーエム工業が担当しました。
めっきは当時、「公害の元凶」というレッテルが貼られていました。そこで、溶融亜鉛めっきと電気めっきの違いなど環境に優しい産業であることを立地予定地の中城村に説明を重ね、産振協の協力により数十回に及ぶ住民説明会を実施。翌1985年、伊舎堂に総工費5億8,000万円を投じ、県内初の本格的なめっき工場が完成しました。しかし開業してみると、防錆効果をPRしても利益があがらず、5年を経過した段階で資本金の5 倍を超える赤字となっていました。そこで1989年、再出発するためのテコ入れとして新たに4,000万円を増資。持ち株比率も見直し、オーエム工業と拓南製鐵(株)は協議のうえ、2社以外の出資者には出資金全額を返済した後、オーエム工業25%、拓南製鐵(株)75%の持ち株比率とし、今後は拓南製鐵(株)側で運営責任を全うする態勢に変更し、新社⾧には上間恒義氏が就任。
その後、経営戦略プロセスを根本的に見直し、業績は好転。溶融亜鉛めっきの有効性が評価されるようになりました。溶融亜鉛めっきを施したワイヤーメッシュは、牧場のフェンスなどその用途に広がりをみせ、1987年には沖縄防錆協会との共同研究により、日本初の溶融亜鉛めっき鉄筋(名称:シルバー鉄筋)を開発しました。