70周年スペシャル企画
第1章拓伸会の出発
鉄くずが米国政府から琉球政府へ払い下げになったのを契機に、 1953年8月19日、 古波津
清昇は、 (資)拓南商事を創業。 同時に那覇市壺川に500坪のスクラップヤードを開設し、 本格的な
鉄の事業に取り組み始めます。 当初は鉄くずを加工するだけでしたが、 1959年、 鉄くずを溶かし
て新たな鉄をつくる拓南製鐵(株)を設立。製鋼工場に沖縄初となる電気炉を導入することにしました。
ところが、 電気炉は大量の電力を必要とするため、 この電力の確保に高い壁が立ちはだかります。
琉球電力公社と配電会社から供給を断られてしまったのです。 そこで清昇は当時の沖縄の最高責
任者・キャラウェイ高等弁務官に直訴しました。 それが功を奏し、 ようやく操業1ヵ月前になって
電力の問題が解決。 念願の電気炉が始動しました。 沖縄で初めて鉄が生み出された瞬間でした。
1953-1966
大正12年
2月1日
創業者 古波津清昇
東風平村字世名城
(現:八重瀬町)に生まれる
昭和15年
3月
八重山農学校卒業
昭和16年
沖縄県の農会技手に採用
昭和22年
3月
屋宜桂子と結婚
昭和23年
金秀鉄工・呉屋秀信氏に
機械装置開発を依頼
第 1 章 拓 伸 会 の 出 発
昭和28年
8月19日
(資)拓南商事設立
1953年8月19日、古波津 清昇は、(資)拓南商事を創業。
同時に那覇市壺川にスクラップヤードを開設。当時、一帯はほとんど民家がなく寂しい場所でした。
昭和30年
6月・7月
鉄くず処理用
シャーリング機を設置
シャーリング機の性能をみる古波津清昇
輸入業務開始
ラビットスクーター(富士重工業製、沖縄スバル自動車(株)の前身)の総代理店となる。
昭和31年
5月
(資)沖縄タイヤインダストリー
(現:拓南本社(株))を設立
6月1日
拓南伸鉄(株)設立
資本金600万円
6月1日
社是「拓鐵興琉」制定
鉄を拓いて琉球を興す。
これは「鉄鋼業を開拓して琉球の経済発展に貢献する」を意味する
拓伸会・拓南グループの理念です。
拓南製鐵(株)の前進となる
拓南伸鉄(株)の工場作業風景
昭和32年
11月
南伸商事(株)
(現拓伸商事(株))、
大阪市東区南本町に設立
昭和33年
6月
社章制定
7月
事務所社屋落成
ブース高等弁務官工場視察
昭和34年
1月17日
拓南伸鉄(株)を
拓南製鐵(株)に社名変更
昭和35年
6月
(資)安謝伸鉄を吸収合併
12月
製鋼工場建設
起工式
昭和36年
5月
製鋼工場建屋(318坪)
完成
現在は拓南商業ビル(東急ステイ沖縄那覇/
ドン・キホーテ那覇壺川店)
5月
電気炉の組み立てならびに技術指導のために
大同製鋼(株)より酒井団長ほか3名が来社
1961
昭和36年
9月
琉球電力公社と
直接電力供給契約
拓南製鐵(株)は本格的な鉄の事業に取り組むべく、製鋼工場に電気炉を導入することにしました。
ところがここで大きな問題が立ちはだかります。電気炉は小型とはいえ多量の電力を必要とする........
昭和36年
9月
電気炉および付属設備完成、
製鋼工場第1号炉落成、
記念式典(西武門会館)
沖縄初の電気炉が始動。電気炉のバリバリと響くごう音は、沖縄
鉄鋼業の夜明けを告げる文明の音のようでした。電気炉に火が入って3時間後、真っ赤に溶けた鉄が姿を現しました。
昭和37年
9月
第3圧延工場落成
第3圧延工場の建設作業風景。鉄鋼不況は厳しさを増しており、できるだけ建設費を安く抑えるため、鉄くずや軍払い下げ品の中から使用できるものを集めて、自分たちの手で
組み立てました。
電気炉を導入し、
圧延工場を建設
鉄くずから鉄筋生産までを行う鉄鋼一貫
メーカーに成長しました。
昭和38年
1月
拓南ニュース創刊
学生を対象に
工場見学会を開催
1965
昭和40年
2月
2泊3日の管理職講座開催
(名護市・双葉荘)、
安全衛生委員会発足
1963年、沖縄で初めての職場青年学級として拓南製鐵職場青年学級を開設。中卒および高卒の新入社員を対象に、約6ヵ月間にわたり
週3回2時間ずつ勤務中に研修を実施し、講師には政府文教局...........
昭和40年
3月
異形鉄筋初生産
昭和40年
9月