第2章本土復帰を境に
製鉄業が変化
佐藤・ニクソン会談にて、 沖縄の本土復帰が決定。 それとともに製鉄業も大きく変化していきました。今までアメリカの規格だったものが、全て日本の規格に合わせなければならなくなったのです。そこで拓南製鐵(株)はいち早く日本の商品規格であるJISマークの申請を行い、沖縄で第一号の認定工場の資格を取得しました。 同じ頃、 日本の高度経済成長のもと、 多角化経営を開始。 しかし好景気に沸く日本においても鉄鋼業界の国内需要や輸出は低迷していました。 追い討ちをかけるようにオイルショックが重なり景気は後退。 そんな中、 倒産に追い込まれた競合の共栄製鋼(株)を
買収するという大きな決断を下します。 そして1977年、壺川から移転し、浦添工場が誕生しました。
1967-1978

第 2 章 本 土 復 帰 を 境 に 製 鐵 業 が 変 化
昭和42年
4月
記念誌『10年のあゆみ』
発刊
7月
5トン電気炉用梱包
プレス機設置
5トン電気炉用プレス機を設置し、廃自動車を
押し潰そうとする様子
7月
フィリピン・マニラに向け
鉄筋を輸出
8月
第1・第2伸鉄工場の
リプレイス(改修工事)
着工
昭和44年
1月
拓南製鐵(株)と
ハワイ・ステイツ・スチール社と
共同出資で
タクナン・ハワイ社を設立
3月
円形経営管理システムを導入
1970
昭和45年
公害問題に直面するも、
建屋集塵装置を導入し
解決へ
高度経済成長に沸く、1965年~74年の日本。華やかな部分とは裏腹に、全国的に公害問題が大きく
クローズアップされ、壺川工場に対しても地域住民の公害反対運動が起こりました。............


昭和45年
11月
拓南石灰工業所
(現:名護石灰工場)設立
昭和46年
10月
鹿児島県名瀬市に
スクラップヤード開設
1972
昭和47年
10月
T-コン鉄筋の
開発ストーリー
本土復帰に備えて、特徴ある自社商品を開発しようと研究を進めていた拓南製鐵(株)。米国内の鉄筋
がほとんど斜めフシであり、最も合理的であることから、斜めフシの鉄筋の製造を試みました。..........


昭和47年
12月
JIS表示許可工場の
誕生ストーリー
1972年、沖縄県が日本本土に復帰、それと同じく製鉄業も大きく変化しました。今までアメリカの規格だったものが、全て日本の規格に合わせなければならなくなったのです。...........

西原町にて(資)拓南鉄工(現:拓南製作所(株))創業
※写真は1974年当時のもの
12月
T-コン斜めフシ鉄筋
開発
昭和48年
4月
T-コンダイヤ形
鉄筋開発
6月
拓南鉄工、
西原町字我謝に移転

9月
沖縄県JIS協会設立、
古波津清昇が初代会長に
沖縄県JIS協会設立、古波津清昇が初代会長に(拓伸会ではJIS品質管理責任者資格保有者64名※2023年12月末現在)
昭和49年
4月
企業グループ「拓伸会」
発足
拓南製鐵、拓南商事、拓南興産、拓伸商事、拓南鉄工、西原グリーンセンターおよび拓鐵事業協同組合による企業グループ
8月
西原グリーンセンターが
ゴルフ練習場をオープン
現:(株)西原グリーンセンター創業
昭和50年
7月
勤務体制紛争のため
ストライキ突入
8月
ショートコース(9ホール)オープン
昭和51年
6月
南部鋼材(株)が
沖縄棒鋼(株)に社名変更
10月
(資)拓南鉄工が
拓南建設工業(株)に
社名変更
昭和52年
3月
共栄製鋼(株)、
諸施設売買契約調印
経営難に陥った競合の共栄製鋼(株)買収のため、
契約書に調印する古波津清昇(パシフィックホテルにて)
3月
浦添新工場改良工事に
着手
9月
浦添新工場本格稼働
(製鋼工場・9月/圧延工場・12月)
10月
西原町へ本社移転
昭和53年
7月
壺川工場閉鎖式
10月